第六話 縁日
「おはようございます。 いい天気ですよ、花魁」 小夜が窓を開け、玉芳を起こした。
「―眩しい。 それに、昨日は飲み過ぎた……」 玉芳は頭を押さえている。
「今日は、九(く)朗(ろ)助稲荷(すけいなり)様の縁日でございます。 花魁も支度なさってください」
吉原の四方には稲荷社がある。 その中で、特に信仰を集めていたのが京町二丁目奥の九朗助稲荷である。
九朗助稲荷では毎月、午(うま)の日は縁日とされている。
出店が並び、毎回賑わっていた。
「うぅぅ……頭が痛い……」 玉芳は重い体を起こし、着替えていた。
この縁日は、花魁たちのパレードのような催しがあり
「花魁、通ります!」 この掛け声から、見世の行列が始まる。
「三原屋、玉芳花魁が通ります」 梅乃も元気よく、声を出していた。
この花魁道中で、世間を下に見るような仕草が一段と人気を博していた。
しかし 「頭が痛い……」 玉芳の頭痛は改善されなかった。
「もう少しです。 花魁……」 勝来が気を利かせ、言葉を掛ける。
そして、九朗助稲荷に到着し、三原屋全員で手を合わせた。
「お前たち、いなり寿司を食べようか」 店主の文衛門が、妓女や禿にまで振舞っていた。
「おいしい♡」 梅乃と小夜も、喜んで頬張っていた。
縁日を楽しみ、妓女たちの数少ない笑顔が溢れる中、問題が起きた。
「―花魁?」 玉芳が倒れてしまった。
当然、他の見世の妓女や客も居る中の事態で、周囲はザワついていた。
妓女は車を呼び、玉芳を乗せて三原屋に戻った。
「お医者様……どうでしょうか?」 文衛門が聞いていた。
「様子見……ですな」
妓女に体調の異変など、当たり前である。
長年、妓女をやっていると梅毒に掛かるリスクがある。
妓女の平均寿命は二十三歳くらいと言われていた。
そのほとんどが梅毒である。
「貰ったかね……」 玉芳は、半分は覚悟していただろう。
文衛門は、玉芳の頭を撫でた。
三原屋でも梅毒に侵され、亡くなった者も少なくない。
“最後には優しく…… ” が、文衛門の決まりであった。
「あら……その優しさ……やっぱり、そうでありんすか……」
文衛門の優しさが、玉芳は察したようだ。
そして、三原屋には重い空気が流れた。
中には、次の花魁が誰になるかの話しまで出だしたのだ。
(玉芳花魁が梅毒と決まった訳じゃないのに……)
梅乃は、イライラしていた。 これは梅乃だけではなく、菖蒲と勝来、小夜も同じ気持ちであった。
「花魁、失礼しんす……」 様子を伺いに来た梅乃は、玉芳が寝ていることを確認した。
「よし……」 梅乃と小夜は、京町二丁目の奥にある九朗助稲荷に走っていった。
「おい……梅乃ちゃんと、小夜ちゃんだよね……?」
声を掛けてきたのは長岡屋の花魁、喜久乃だった。
「喜久乃 花魁……」 梅乃と小夜は、頭を下げた。
「大丈夫か? 玉芳、死んだのか?」 喜久乃の言葉に
「いくら喜久乃 花魁でも怒りますよ……」 梅乃は、細い目をして喜久乃を睨む。
「じょ、冗談だよ……それで、玉芳はどうなんだ?」
「原因が分からないのです。 梅毒の症状はなくても潜伏期間もありますし……と、言っていました」
「そうか……一緒に戦った仲間だ、一緒に祈ろう」 喜久乃と梅乃たちは、一生懸命に祈った。
「ありがとうございました」 梅乃が喜久乃に頭を下げると、喜久乃はニコッとした。
「知ってるか? 梅毒に掛かっても、治ったヤツは稼げるらしいぞ」
喜久乃は笑顔で話した。
吉原では、今までで数千人もの梅毒に侵された者がいる。
その中でも、自力で治した妓女や、薬で治した妓女もいる。
そうした妓女は、『次にかからない。 克服した女』 として、もてはやされ賃金が高くなっていった。
しかし、梅毒になど なりたくはないものである。
「この世界は、色々な恐怖とも戦っているんだ。 そこから這い上がった者……それが花魁と呼ばれるのさ。 だから玉芳も、きっと善くなるよ」
喜久乃らしい、エールの送り方であった。
「これ、玉芳に渡してくんなんし……」 梅乃は喜久乃から簪を受け取った。
喜久乃が簪を渡すと、どこかに去っていった。
「やっぱり、花魁は凄いな……」 梅乃と小夜は、感動していた。
梅乃たちは、妓楼に戻ってきた。
「花魁、いかがです?」 梅乃が玉芳に話しかける。
「だいぶいいよ」 玉芳の顔色も、少し良くなっていた。
「これ、喜久乃花魁から渡してくれって……」 梅乃は玉芳に簪を手渡した。
すると
「アイツ……私を死に体だと思いやがって……許さん!」
玉芳が布団から立ち上がり、興奮していた。
「だから違うって~」 慌てて押さえる梅乃と小夜であった。
それから三日後、玉芳は元気になっていた。
「花魁、良かったです~」 一階の大座敷では、玉芳の回復で盛り上がっていた。
「お前の強運には、驚いたよ……休んだ分、頑張って働きな」
采のキツイ言い方も、愛情表現だと誰もが知っていた。
「早速だが、指名だよ」 采が言うと、
「はいさ!」 気合十分な玉芳であった。
「花魁、通ります♪ 三原屋の玉芳花魁、通ります♪」
梅乃の声も、一段と仲の町に響いていた。
そして、引手茶屋で喜久乃とバッタリと会った。
「おや? 私が死んだと思っていた喜久乃花魁。 元気かえ?」
挑発するように玉芳が先制を仕掛けた。
「おや? 不死身でありんすな……香典代わりに渡した簪、貰ったかえ?」
喜久乃も、負けてはいなかった。
そして、二人はニコッとした。
(カッコイイ……) 誰もが振り返る花魁の力を見せられた瞬間であった。
酒宴が始まり、馴染み客はご機嫌だった。
「いや~ 花魁が病で臥(ふ)せったと聞いて、どうしようかと思ったよ~」
「それで、他の見世にしようかと思っていた訳?」
少し、拗ねたように見せる玉芳のテクニックは至宝である。
その姿に、梅乃も見惚れていた。
そして朝。
後朝の別れを済ませた玉芳のアクビと同時に浅草寺の鐘が鳴る。
「おはようございます」 小さな声で、玉芳に挨拶をしたのが小夜である。
「おはよう、早いのね」
「はい、何か眠りが浅かったみたいで……」 小夜も小さなアクビをしていた。
「まだ早いから、布団に入ってなよ」 玉芳は言葉を残すと、二回に戻っていった。
それでも寝れなかった小夜は、一人で九朗助稲荷に向かっていた。
早朝なのに九朗助稲荷の周辺が騒がしく、小夜は覗き込んだ。
(人が多いけど、何をしているのかしら……?)
すると、人だかりの中からヒソヒソ話しが聞こえてきた。
『まだ若いのに……』 そんな言葉だった。
「すみません……あの、どうしたのですか?」 小夜は勇気を振り絞って、見物人に聞いてみた。
「ほら、あそこ……近江屋の妓女だろ? なんで お歯黒ドブに……」
他の妓女が指さす場所は『お歯黒ドブ』である。
吉原を取り囲むように川からの水が来ては溜まっている水たまりのような場所である。
吉原の水を流している場所で、花魁のお歯黒を落として黒くなった水が溜まっているからと、そう呼ばれていた。
そんな場所に妓女が浮いていたのだ。
小夜は小さな手を合わせた。
(朝から嫌なものを見ちゃったな……) 小夜は肩を落とし、三原屋に帰ろうとしていた時、
「―ッ?」 小夜は何か視線を感じ、振り向いたが誰も居なかった。
(気のせいか?) 小夜は視線を下に向け、気を取りなおそうとした瞬間
「ひっ!」 目の前に、同じような年齢の女の子が立っていた。
「あの……何か用?」 小夜は恐る恐る話しかけた。
「あの人……誰か知ってる?」 見知らぬ女の子が口を開いた。
「さっき、噂では近江屋の人って言ってたけど……」
近江屋は大見世であったが、ここ数年で失墜して中見世になったと聞いていた。
「そう……近江屋の人。 私も近江屋の禿なんだ」 女の子は、静かな声で話し出した。
「そうなんだね……」
「禿、頑張らないとね……秀子姐さんみたくならないように……」
女の子は、薄っすらと涙を浮かべていた。
「秀子さんて言うんだね。 残念だったね……」 小夜の言葉では、これくらいしか言えなかった。
「うん……またね」 女の子は振り返り、そこから帰っていった。
小夜もトボトボと歩いていった。
そして三原屋に小夜が戻ると、
「小夜、どこに行ってたの? 起きたら居なかったから……」 梅乃が心配していた様子で話しかけてきた。
「うん……九朗助稲荷まで……」
「そっか、何をお願いしてたの?」
梅乃の言葉に、小夜は言葉を選んだ。
「お願いできなかった……」 小夜は下を向いた。
「どうして?」 梅乃は首をかしげたが、この後に知ることとなる。
「あぁ……あれね。 私と同じくらいの娘(こ)なのよ」 こう言ったのは菖蒲である。
「簡単に言うと、イジメね。 近江屋って、古い妓楼なんだよ……だから、慣習も古くて、イジメがあっても見て見ぬふり……中から腐ると営業でも出て来ちゃうからね……」 菖蒲は寂しそうに話していた。
「……」 梅乃は言葉を失った。
「でも、ここは玉芳姐さんが優しいから安心して働ける……」 菖蒲が言いたかったのは、これが本音だった。
「さっ、暗い顔しないで……しっかり勉強するんだよ」 菖蒲は笑顔で梅乃の頭を撫でた。
「花魁、失礼しんす」 梅乃と小夜は玉芳の部屋に入り、朝の起床の手伝いに来ていた。
「今は雨ですね……さっきまでは晴れていたのに」 小夜は窓を開け、空気の入れ換えをしていた時
「うん? あの娘(こ)……」 小夜は九朗助稲荷で会った女の子を見つけた。
「うん? あの娘は誰だい?」 玉芳も小夜と同じ娘が目に入った。
「今朝、九朗助稲荷で会った娘です。 近江屋の禿と言っていました」
「そっか……」
そして、小夜と梅乃が見世の前の掃除を始めていると近江屋の禿が小夜を見ていた。
「こんにちは……」 小夜は近江屋の禿に手を振ると
「会いたかった……」 近江屋の禿が駆け寄り、涙目で小夜の手を握った。
第七話 禿「会いたかった……」 近江屋の禿は、小夜の手を握っていた。「あ、ありがと……私、小夜。 あなたは?」「私、静(しず)。 よろしくね」 笑顔の二人に、梅乃がヒョコッと顔を出す。「小夜~♪ お友達?」「うん。 静って、近江屋の禿なんだって」 小夜は上機嫌であった。内気な性格で、梅乃しか友達が出来なかった小夜が、自力で友達を作ってきたのだ。「良かった♪ 私、梅乃。 よろしくね♪」こうして三人の禿は仲良くなっていった。時間が空いた時は、よく三人で話しをする仲になっていった。「そういえば、この前の妓女の事なんだけど……」 小夜がお歯黒ドブで亡くなっていた妓女の話を切り出す。「あぁ、秀子さんね……」 この話しになった途端、静は表情が暗くなった。「いい人だったの?」 「うん。 私にとってお母さんみたいな人だったの……」「そっか……」 「お母さんか……どんななんだろう」 梅乃が小さい声で言った。「お母さんは?」 静が、静かに聞くと「知らない……私と小夜は、赤ちゃんの時に大門の前に捨てられていたんだって」 梅乃も声が小さくなっていた。「そっか……私は、家が貧しくて売りに出された」 静も、なかなかの人生であった。「みんなで良くなるように願掛けしようか?」 小夜の提案で、桜が散ってしまった木の下で手を繋いだ。“ニギ ニギ ” 「みんな良くな~れ♪」他の見世であるが、同じ禿同士で仲良くなった三人であった。「梅乃~ 小夜~」 玉芳の声がした。「はいっ」 「昼見世の時間、茶屋に行くよ! 用意して」玉芳が昼間から営業が入ったようで、付き添いを言われた。そして茶屋に入り、玉芳は茶屋の主人と話しをしている。梅乃と小夜は、少し離れた場所で待機をしていた。「梅乃ちゃん、小夜ちゃん……」 二人を呼ぶ声が聞こえ、振り向くと「静ちゃん」 「えへへ。 今日はどうしたの?」 静の表情は明るかった。「今日は、花魁と一緒に来てるの」 「私も♪」どこの禿も、やることは一緒である。用事が住んだらしく、玉芳が振り向き「梅乃、小夜 行くよ」 と、言った時である近江屋の妓女、小春が茶屋に来ていた。「小春じゃない?」 玉芳が、声を掛けた。「あぁ……玉芳 花魁」 小春は頭を下げた。小春は玉芳より年上で、年季が明けてやり手婆になるらしい。
第六話 縁日「おはようございます。 いい天気ですよ、花魁」 小夜が窓を開け、玉芳を起こした。「―眩しい。 それに、昨日は飲み過ぎた……」 玉芳は頭を押さえている。「今日は、九(く)朗(ろ)助稲荷(すけいなり)様の縁日でございます。 花魁も支度なさってください」吉原の四方には稲荷社がある。 その中で、特に信仰を集めていたのが京町二丁目奥の九朗助稲荷である。九朗助稲荷では毎月、午(うま)の日は縁日とされている。出店が並び、毎回賑わっていた。「うぅぅ……頭が痛い……」 玉芳は重い体を起こし、着替えていた。この縁日は、花魁たちのパレードのような催しがあり「花魁、通ります!」 この掛け声から、見世の行列が始まる。「三原屋、玉芳花魁が通ります」 梅乃も元気よく、声を出していた。この花魁道中で、世間を下に見るような仕草が一段と人気を博していた。 しかし 「頭が痛い……」 玉芳の頭痛は改善されなかった。 「もう少しです。 花魁……」 勝来が気を利かせ、言葉を掛ける。そして、九朗助稲荷に到着し、三原屋全員で手を合わせた。 「お前たち、いなり寿司を食べようか」 店主の文衛門が、妓女や禿にまで振舞っていた。 「おいしい♡」 梅乃と小夜も、喜んで頬張っていた。 縁日を楽しみ、妓女たちの数少ない笑顔が溢れる中、問題が起きた。 「―花魁?」 玉芳が倒れてしまった。 当然、他の見世の妓女や客も居る中の事態で、周囲はザワついていた。 妓女は車を呼び、玉芳を乗せて三原屋に戻った。「お医者様……どうでしょうか?」 文衛門が聞いていた。「様子見……ですな」 妓女に体調の異変など、当たり前である。長年、妓女をやっていると梅毒に掛かるリスクがある。妓女の平均寿命は二十三歳くらいと言われていた。そのほとんどが梅毒である。 「貰ったかね……」 玉芳は、半分は覚悟していただろう。 文衛門は、玉芳の頭を撫でた。 三原屋でも梅毒に侵され、亡くなった者も少なくない。 “最後には優しく…… ” が、文衛門の決まりであった。 「あら……その優しさ……やっぱり、そうでありんすか……」 文衛門の優しさが、玉芳は察したようだ。 そして、三原屋には重い空気が流れた。 中には、次の花魁が誰になるかの話しまで出だしたのだ。 (玉芳花魁が梅毒と決まった訳じ
第五話 下世話なヤツラ「おはようございます」 梅乃は昼見世の時間前に、玉芳の部屋に行くと「ふわぁぁ……おはよ」 少し寝ぼけている玉芳が返事する。 それから玉芳と梅乃が小さい声で会話をしていた。 「なに? 本当かい? 行くよ」 玉芳が布団を蹴り上げ、起床した。 梅乃が話したことは、三原屋の妓女と余所の見世の妓女とで喧嘩になったとの噂を玉芳に話したのだ。 「場所はどこだい?」 玉芳は気合が入っていたが、何故か顔が嬉しそうであった。 「なんか花魁……楽しそうですね……」 梅乃は小さい声で玉芳に言うと、 「そんな事ないわよ! 心配なだけさ」 『ふんす!』 最後に気合を入れていた。 (これは、絶対に楽しそうだ……) 梅乃は思っていた。 そして喧嘩の場所へ来た。 「お~♡ やってる~♡」 玉芳が とっても嬉しそうにしている顔を、梅乃は初めて見た。 「待ちな……」 そして玉芳が割って入る。 「なんだい?」 威勢のいい妓女が玉芳を睨んだ。 「ほう……言うね~ 私を知っての言葉かい?」 玉芳は長いキセルを くゆらせながら言った。 「この喧嘩に玉芳花魁が出るのは……いただけないね」 喧嘩をしている妓女の一人が言った。 「ウチの見世に文句あって喧嘩しているんだろ?」 玉芳が睨むと 「???」 相手の妓女たちが首を傾げた。 「???」 言った玉芳も、相手の反応に首を傾げた。「って……アンタ、誰?」 「私は鳳仙楼(ほうせんろう)の二代目鳳仙だよ」「私は長岡屋の喜久乃……」「……」 玉芳は、ポカンと口を開けていた。どうやら喧嘩の場所を間違えていたようである。『ポカッ―』 玉芳は恥ずかしさのあまり、梅乃の頭を叩いた。「お前、ウチの娘じゃねーじゃねぇか!」 「もう少し先なんですが、花魁が勝手に喧嘩を見つけて乱入したんじゃ……」「それを早く言え!」 追撃の一発で、梅乃を叩いた。そして喧嘩の場所へ「待ちな!」 玉芳が参上した。「なんだい?」 喧嘩をしていた妓女が、玉芳を睨む。 「念の為だ、見世を聞こう……」 玉芳は、さっきの間違いから恥ずかしさを知ってしまったようだ。 「小菊屋の高吉(たかよし)だよ」 「ふむ……お前は?」 「花魁、私をお忘れですか??」 玉芳は、妓女の顔を覗き込む。 「ウチの松代(まつしろ)姐
第四話 継がれし想い 「ほら、いつまで寝ているんだい!」 朝の五時、梅乃は大声で起こされた。 「ふえ……?」 寝ぼけ眼で梅乃が目を覚ますと、妓女の大部屋が騒がしい。 “キョロキョロ……” 大部屋を見ると、全員が起きていた。 「起きた?」 小夜が梅乃の横に、チョコンと座る。 「なんで、こんなに早いの?」 「知らないの?」 小夜が驚いたように言った。 「江戸町二丁目の近藤屋が店を閉めるんだって!」 小夜は焦ったかのように話す。ここ吉原には五つの町が存在する。そこは大門(おおもん)から、突き当りの水道(すいど)尻(じり)までの約二百三十メートル真っすぐな道を仲(なか)の町(ちょう)という大通りがある。その仲の町の両脇には、引手茶屋が多数あるそして、東西に分けられた町がある。東側には、伏見町、江戸町二丁目、角(すみ)町、京町二丁目西側には、江戸町一丁目、揚屋(あげや)町、京町一丁目 がある。その中でも、江戸町は大見世が軒(のき)を連ねていた。「へー 近藤屋がね……」 梅乃には、まだピンと来ていなかった。同じ江戸町で、大見世だった近藤屋が閉めてしまうことの重大さに気づくのは、まだ先のことであった。その噂は三原屋でも独占していた。普段なら色恋や、たまに来る舞台役者の話しでもちきりなのだが、今回は近藤屋の話しでいっぱいだった。それは、近藤屋が閉鎖することにより三原屋も妓女を引き取るからだ。ある程度、大見世である三原屋だが定員はある。良い妓女が来れば、売上の悪い妓女は去らねばならない。それは、他の中見世や小見世に行かなければならないということであり、年季が明けるまでは避けたい事態である。このピリつい空気に、梅乃と小夜も察してきた。「お前たち、禿は良いよな……時代が被らなくて……」 妓女の一人が言う。 しかし、いつの時代にも大変な時期はある。梅乃たちでさえ保証はないだろう。そんな中、やはり近藤屋の妓女が三原屋にやってきた。「よろしゅう、お頼み申しんす……」近藤屋からは、四人の妓女を引きとった。 「おや? 貴女は此処の禿だったの?」 近藤屋から来た、一人の妓女が梅乃に話しかける。 この妓女は、花緒と言う。 「はい。 ご存知だったのですか?」 梅乃は驚いたように話す。 「えぇ、いつも桜の木の下で泣いていたで
第三話 豪華(ごうか)絢爛(けんらん)あれから二年。 梅乃は十歳になった。「花魁、失礼しんす……」 玉芳の部屋に勝来がやってきた。最初の禿だった菖蒲は十五歳になり、下級の妓女となっていた。それにより、禿の最年長は勝来である。「本日の予約は……」 勝来が予定を読み上げると「へー 初見(しょけん)さんか……」 玉芳は驚いていた。玉芳が驚くのも無理もない。少し前だが、戊辰戦争が起こり 上野周辺は瓦礫(がれき)や死体の山であった。ここ吉原も、彰義隊の避難所として利用している為、戦争に巻き込まれたくない客は遠のいていった。「少し、客さんは戻ってきたのかしら……?」玉芳はキセルを吹かしながら空を見ていた。吉原は幕府公認の妓楼街であったが、大政奉還により幕府が権力を失う。大名は吉原から足が遠のき、金が安く済む夜鷹を使っていた。また吉原に来ても大見世である三原屋を使わず、吉原の壁側にある河岸(かし)見(み)世(せ)を使う客も増えていった。吉原の妓楼は四つのランクに分けられていた。三原屋のような格式が高い見世は、大見世。格式が低く、引手茶屋を通さずに遊べるのが小見(こみ)世(せ)。 その中間にあるのが中(なか)見(み)世(せ)である。そして、吉原を囲むように川の水が溜まったのが『お歯黒ドブ』と呼ばれ、そのドブの近くにある見世が、河岸(かし)見(み)世(せ)と呼ばれていた。河岸見世は安く、格式など無い。年季が明けて、行くところが無くなった妓女が多く在籍する。また、三十路過ぎの女性が多いところでもある。そして戦争により、一気に客足は遠のき三原屋も経営が苦しかった。「久しぶりに、景気よくいこう」 玉芳は嬉しそうであった。この落ち込んだ景気を回復しようと、強く思っていたのだ。玉芳は一階にいる “鑓手(やりて)婆(ばば) ” の所に出向いた。鑓手婆とは、妓楼の一階に座り、妓女の管理や会計などを行う人である。三原屋で言えば『采』である。「お婆(ばば)、今日の客さんは どんな方?」 玉芳は采に聞くと「確か……金貸しの旦那とか言ったね。 アチコチの妓楼に顔を出すヤツさ…… そこいらで品定めでもしているんじゃないかい?」「お婆、今日は車を出してくれない?」 玉芳は、珍しく采に頼み事をした。「そりゃ構わないけど、ケチられたらどうするん
第二話 花見に馳(は)せる夢江戸に春が到来した。春の知らせとは桜である。 桜が咲けば春の訪れを意識するようになるものだ。ここ吉原は、高い壁がある。出入り口にある大門(おおもん)は、唯一の出入り口であるが妓女や禿は外に出る事を許されない。引退や、身請けが決まったら外に出られるようになる。それまでは “籠の中の鳥 ” なのである。 そして外からの情報も少なく、春の訪れを知るのは仲の町(吉原のメイン通り)に咲いている桜の開花なのである。「綺麗……」 梅乃は、同じ歳の小夜と桜を見に来ていた。 小夜も顔立ちが良く、髪は梅乃と同じ髪型であるがオットリしていて庇ってあげたくなる感じの女の子であった。二人は親に捨てられ、吉原の大門の前に置かれていた者同士で仲が良かった。「私、大きくなって稼げるようになったら……」 何かを言いたげな小夜は、話し途中で黙ってしまった。 「稼げるようになったら……?」 梅乃は続きを待っていた。 「うん……稼げるようになったら、両親に会いたい……って思ったの。 でも、顔も名前も知らないし……」 小夜は下を向いてしまった。(確かにそうだ……稼いでも探偵らしき者を雇っても、名前も顔も知らないのであれば……この名前さえも本当に親が付けたものか分かったものじゃない)梅乃は冷静に解釈をしていた。「戻ろう……また、お婆(ばば)がウルサイからさ」 梅乃は小夜の手を引っ張り、妓楼に戻っていった。すると、妓楼の大部屋から怒鳴り声が聞こえる。「アンタが盗んだのね」 などと言い、妓女同士で喧嘩をしていた。(またか……) 梅乃は子供ながらに、何度もいざこざを見てきた。いつもは口喧嘩で済むが、今回は殴り合いにまで発展してしまった。『ガシャン……』 と、音がした。どうやら、妓女の一人が皿を投げつけたようだ。(これはガチのやつだ……)そして横を見ると小夜が震えていた。「小夜、見ない」 梅乃は小夜の前に立ち、喧嘩を見えないようにしていた。それから妓女の喧嘩はヒートアップしていく。そして梅乃は我慢が出来ずに妓女に声を掛けた。「すみません、姐さん……何を喧嘩されているんですか?」すると、「コイツ……私の簪(かんざし)を盗んだのよ!」 一人の妓女が言うと、「私が盗む理由(わけ)が無いじゃないか!」 相手の妓女が言う。「ふう…