第六話 縁日
「おはようございます。 いい天気ですよ、花魁」 小夜が窓を開け、玉芳を起こした。
「―眩しい。 それに、昨日は飲み過ぎた……」 玉芳は頭を押さえている。
「今日は、九(く)朗(ろ)助稲荷(すけいなり)様の縁日でございます。 花魁も支度なさってください」
吉原の四方には稲荷社がある。 その中で、特に信仰を集めていたのが京町二丁目奥の九朗助稲荷である。
九朗助稲荷では毎月、午(うま)の日は縁日とされている。
出店が並び、毎回賑わっていた。
「うぅぅ……頭が痛い……」 玉芳は重い体を起こし、着替えていた。
この縁日は、花魁たちのパレードのような催しがあり
「花魁、通ります!」 この掛け声から、見世の行列が始まる。
「三原屋、玉芳花魁が通ります」 梅乃も元気よく、声を出していた。
この花魁道中で、世間を下に見るような仕草が一段と人気を博していた。
しかし 「頭が痛い……」 玉芳の頭痛は改善されなかった。
「もう少しです。 花魁……」 勝来が気を利かせ、言葉を掛ける。
そして、九朗助稲荷に到着し、三原屋全員で手を合わせた。
「お前たち、いなり寿司を食べようか」 店主の文衛門が、妓女や禿にまで振舞っていた。
「おいしい♡」 梅乃と小夜も、喜んで頬張っていた。
縁日を楽しみ、妓女たちの数少ない笑顔が溢れる中、問題が起きた。
「―花魁?」 玉芳が倒れてしまった。
当然、他の見世の妓女や客も居る中の事態で、周囲はザワついていた。
妓女は車を呼び、玉芳を乗せて三原屋に戻った。
「お医者様……どうでしょうか?」 文衛門が聞いていた。
「様子見……ですな」
妓女に体調の異変など、当たり前である。
長年、妓女をやっていると梅毒に掛かるリスクがある。
妓女の平均寿命は二十三歳くらいと言われていた。
そのほとんどが梅毒である。
「貰ったかね……」 玉芳は、半分は覚悟していただろう。
文衛門は、玉芳の頭を撫でた。
三原屋でも梅毒に侵され、亡くなった者も少なくない。
“最後には優しく…… ” が、文衛門の決まりであった。
「あら……その優しさ……やっぱり、そうでありんすか……」
文衛門の優しさが、玉芳は察したようだ。
そして、三原屋には重い空気が流れた。
中には、次の花魁が誰になるかの話しまで出だしたのだ。
(玉芳花魁が梅毒と決まった訳じゃないのに……)
梅乃は、イライラしていた。 これは梅乃だけではなく、菖蒲と勝来、小夜も同じ気持ちであった。
「花魁、失礼しんす……」 様子を伺いに来た梅乃は、玉芳が寝ていることを確認した。
「よし……」 梅乃と小夜は、京町二丁目の奥にある九朗助稲荷に走っていった。
「おい……梅乃ちゃんと、小夜ちゃんだよね……?」
声を掛けてきたのは長岡屋の花魁、喜久乃だった。
「喜久乃 花魁……」 梅乃と小夜は、頭を下げた。
「大丈夫か? 玉芳、死んだのか?」 喜久乃の言葉に
「いくら喜久乃 花魁でも怒りますよ……」 梅乃は、細い目をして喜久乃を睨む。
「じょ、冗談だよ……それで、玉芳はどうなんだ?」
「原因が分からないのです。 梅毒の症状はなくても潜伏期間もありますし……と、言っていました」
「そうか……一緒に戦った仲間だ、一緒に祈ろう」 喜久乃と梅乃たちは、一生懸命に祈った。
「ありがとうございました」 梅乃が喜久乃に頭を下げると、喜久乃はニコッとした。
「知ってるか? 梅毒に掛かっても、治ったヤツは稼げるらしいぞ」
喜久乃は笑顔で話した。
吉原では、今までで数千人もの梅毒に侵された者がいる。
その中でも、自力で治した妓女や、薬で治した妓女もいる。
そうした妓女は、『次にかからない。 克服した女』 として、もてはやされ賃金が高くなっていった。
しかし、梅毒になど なりたくはないものである。
「この世界は、色々な恐怖とも戦っているんだ。 そこから這い上がった者……それが花魁と呼ばれるのさ。 だから玉芳も、きっと善くなるよ」
喜久乃らしい、エールの送り方であった。
「これ、玉芳に渡してくんなんし……」 梅乃は喜久乃から簪を受け取った。
喜久乃が簪を渡すと、どこかに去っていった。
「やっぱり、花魁は凄いな……」 梅乃と小夜は、感動していた。
梅乃たちは、妓楼に戻ってきた。
「花魁、いかがです?」 梅乃が玉芳に話しかける。
「だいぶいいよ」 玉芳の顔色も、少し良くなっていた。
「これ、喜久乃花魁から渡してくれって……」 梅乃は玉芳に簪を手渡した。
すると
「アイツ……私を死に体だと思いやがって……許さん!」
玉芳が布団から立ち上がり、興奮していた。
「だから違うって~」 慌てて押さえる梅乃と小夜であった。
それから三日後、玉芳は元気になっていた。
「花魁、良かったです~」 一階の大座敷では、玉芳の回復で盛り上がっていた。
「お前の強運には、驚いたよ……休んだ分、頑張って働きな」
采のキツイ言い方も、愛情表現だと誰もが知っていた。
「早速だが、指名だよ」 采が言うと、
「はいさ!」 気合十分な玉芳であった。
「花魁、通ります♪ 三原屋の玉芳花魁、通ります♪」
梅乃の声も、一段と仲の町に響いていた。
そして、引手茶屋で喜久乃とバッタリと会った。
「おや? 私が死んだと思っていた喜久乃花魁。 元気かえ?」
挑発するように玉芳が先制を仕掛けた。
「おや? 不死身でありんすな……香典代わりに渡した簪、貰ったかえ?」
喜久乃も、負けてはいなかった。
そして、二人はニコッとした。
(カッコイイ……) 誰もが振り返る花魁の力を見せられた瞬間であった。
酒宴が始まり、馴染み客はご機嫌だった。
「いや~ 花魁が病で臥(ふ)せったと聞いて、どうしようかと思ったよ~」
「それで、他の見世にしようかと思っていた訳?」
少し、拗ねたように見せる玉芳のテクニックは至宝である。
その姿に、梅乃も見惚れていた。
そして朝。
後朝の別れを済ませた玉芳のアクビと同時に浅草寺の鐘が鳴る。
「おはようございます」 小さな声で、玉芳に挨拶をしたのが小夜である。
「おはよう、早いのね」
「はい、何か眠りが浅かったみたいで……」 小夜も小さなアクビをしていた。
「まだ早いから、布団に入ってなよ」 玉芳は言葉を残すと、二回に戻っていった。
それでも寝れなかった小夜は、一人で九朗助稲荷に向かっていた。
早朝なのに九朗助稲荷の周辺が騒がしく、小夜は覗き込んだ。
(人が多いけど、何をしているのかしら……?)
すると、人だかりの中からヒソヒソ話しが聞こえてきた。
『まだ若いのに……』 そんな言葉だった。
「すみません……あの、どうしたのですか?」 小夜は勇気を振り絞って、見物人に聞いてみた。
「ほら、あそこ……近江屋の妓女だろ? なんで お歯黒ドブに……」
他の妓女が指さす場所は『お歯黒ドブ』である。
吉原を取り囲むように川からの水が来ては溜まっている水たまりのような場所である。
吉原の水を流している場所で、花魁のお歯黒を落として黒くなった水が溜まっているからと、そう呼ばれていた。
そんな場所に妓女が浮いていたのだ。
小夜は小さな手を合わせた。
(朝から嫌なものを見ちゃったな……) 小夜は肩を落とし、三原屋に帰ろうとしていた時、
「―ッ?」 小夜は何か視線を感じ、振り向いたが誰も居なかった。
(気のせいか?) 小夜は視線を下に向け、気を取りなおそうとした瞬間
「ひっ!」 目の前に、同じような年齢の女の子が立っていた。
「あの……何か用?」 小夜は恐る恐る話しかけた。
「あの人……誰か知ってる?」 見知らぬ女の子が口を開いた。
「さっき、噂では近江屋の人って言ってたけど……」
近江屋は大見世であったが、ここ数年で失墜して中見世になったと聞いていた。
「そう……近江屋の人。 私も近江屋の禿なんだ」 女の子は、静かな声で話し出した。
「そうなんだね……」
「禿、頑張らないとね……秀子姐さんみたくならないように……」
女の子は、薄っすらと涙を浮かべていた。
「秀子さんて言うんだね。 残念だったね……」 小夜の言葉では、これくらいしか言えなかった。
「うん……またね」 女の子は振り返り、そこから帰っていった。
小夜もトボトボと歩いていった。
そして三原屋に小夜が戻ると、
「小夜、どこに行ってたの? 起きたら居なかったから……」 梅乃が心配していた様子で話しかけてきた。
「うん……九朗助稲荷まで……」
「そっか、何をお願いしてたの?」
梅乃の言葉に、小夜は言葉を選んだ。
「お願いできなかった……」 小夜は下を向いた。
「どうして?」 梅乃は首をかしげたが、この後に知ることとなる。
「あぁ……あれね。 私と同じくらいの娘(こ)なのよ」 こう言ったのは菖蒲である。
「簡単に言うと、イジメね。 近江屋って、古い妓楼なんだよ……だから、慣習も古くて、イジメがあっても見て見ぬふり……中から腐ると営業でも出て来ちゃうからね……」 菖蒲は寂しそうに話していた。
「……」 梅乃は言葉を失った。
「でも、ここは玉芳姐さんが優しいから安心して働ける……」 菖蒲が言いたかったのは、これが本音だった。
「さっ、暗い顔しないで……しっかり勉強するんだよ」 菖蒲は笑顔で梅乃の頭を撫でた。
「花魁、失礼しんす」 梅乃と小夜は玉芳の部屋に入り、朝の起床の手伝いに来ていた。
「今は雨ですね……さっきまでは晴れていたのに」 小夜は窓を開け、空気の入れ換えをしていた時
「うん? あの娘(こ)……」 小夜は九朗助稲荷で会った女の子を見つけた。
「うん? あの娘は誰だい?」 玉芳も小夜と同じ娘が目に入った。
「今朝、九朗助稲荷で会った娘です。 近江屋の禿と言っていました」
「そっか……」
そして、小夜と梅乃が見世の前の掃除を始めていると近江屋の禿が小夜を見ていた。
「こんにちは……」 小夜は近江屋の禿に手を振ると
「会いたかった……」 近江屋の禿が駆け寄り、涙目で小夜の手を握った。
第三十八話 逆襲「こんにちは~」 梅乃が挨拶をする。この日は赤岩と往診に出ている。「あ~ 梅乃ちゃん、いらっしゃい。 先生もありがとうございます」そう言って、妓楼の中に入れてくれたのは小松崎である。以前、大量の足抜により頭を抱えていた『小松屋』の店主である。梅乃の活躍によって足抜は無くなり、見世を維持できていた。そんな小松屋が三原屋に往診を依頼してきていたのである。赤岩と梅乃が大部屋に入ると 「一列に並んでくださーい」 梅乃は早速、妓女並ばせる。(すっかり手慣れたもんだな……) 赤岩がクスッと笑う。「では、始めます」 赤岩が言うと、梅乃が妓女の服の下を確認していく。「異常なし……こちらも異常なし」 梅乃のチェックは回を重ねる毎に早く、そして正確になっていた。その時、「ん? これは……」 梅乃が悩み出す。「梅乃、どうかしたの?」 赤岩が声を掛ける。「先生、コレなんですが見たことないのがあります……」「どれどれ?」 赤岩が見ると、妓女な身体にはアザとは違う青緑がかった模様が出ていた。「これ、何だったかな……?」 赤岩が考えていると、「もしかして、緑膿菌ですか?」 梅乃が言う。 赤岩は絶句する。何年も医者をやってきている赤岩より、梅乃の方が早くに言葉にしたからだ。「梅乃ちゃん、どうしてこれを……?」「へへっ 先生の本を読んでました」 梅乃が鼻の下をこすって笑う。(なんて子だよ……)「それで、どう対処するんだっけ?」 赤岩が聞くと、「とりあえず栄養のあるものを食べて、免疫を高めるとか……」「そうか……」 これでは梅乃の方が先生になっているようだ。緑膿菌は傷口などから発生する感染症である。現代と比べて衛生的に悪かった時代、感染する者は多かった。しかし、明確な治療が無かった為、『栄養を摂る』しかなかった。こうして小松屋の診察が終わった。「先生……ありがとうございます。 それと、梅乃ちゃん……前もそうだが、本当に世話になってるね。 ありがとう」 小松崎は梅乃の手を握って感謝していた。小松崎は、お茶や茶菓子を赤岩と梅乃に出す。「すみません。 わざわざ……」 赤岩が頭を下げる。「いただきます」 梅乃はパクパクと食べ出した。「梅乃ちゃん、本当に世話になったね~ こうして見世の主を続けられるのは梅乃ちゃんのお
第三十七話 無《む》宿《しゅく》明治五年、七月。 玉菊灯籠の時期がやってきた。「今年はどんな模様にしようかな~」 梅乃が言うと、古峰が横でソワソワしている。「どうしたの?」 「う、梅乃ちゃん……今年は私もやりたい」 古峰がソワソワしていたのは、灯籠の模様を描きたかったからだ。「一緒にやろう♪」 梅乃が古峰に筆を渡す。「おはよう。 朝から頑張ってるな~」 そう言ってきたのは片山である。「潤さん、おはようございます♪」 梅乃と古峰が挨拶をすると、「あれ? 小夜は?」 片山がキョロキョロする。「小夜は馬で休みながら、中で仕事してる~」 梅乃が説明する。「そろそろ梅乃もじゃないか?」 片山が言うと、梅乃が睨む。「い、いや……そういう訳じゃ……」 片山は妓楼の中に逃げていった。「う 梅乃ちゃん……馬、まだなの?」 古峰が聞くと、梅乃は小さく頷く。「一緒だね♪」 そう言って古峰が抱きついた。古峰が灯籠の下絵を描いていく。「古峰、絵が上手だね~」 梅乃が横から覗き込み、古峰の才能を褒めると「ありがとう。 私、親からも相手にされなかったから地面に絵を描いていることばかりだったの……何か言うと叩かれたし……」古峰は、顔を下に向けて話していた。「でも、これは凄い才能だよ」 灯籠の下絵を見て、梅乃は頷いていた。そして玉菊灯籠が始まる。 「今日は忙しくなるからね!」 梅乃が言うと、「小夜ちゃん、出来るかな?」 古峰は心配している。「は~はっはっ。 私は大丈夫だよ」 笑顔で小夜がやってきた。「元気になったんだ」 古峰が笑顔になる。「でも、なんか機嫌が良くない?」 梅乃が不思議そうな顔をすると、「じゃじゃーん♪ お婆が新馬を作ってくれたんだ♪」小夜が、ご機嫌で着物の裾をまくると、サラシで作ってもらった新馬を見せる。「そんなもん、見せるなよ~」 梅乃が大声で叫ぶ。三原屋の前の飾り付けが済んだ三人は、大部屋で妓女の手伝いに入る。今回は、二階の部屋を与えられている四人も昼見世に参加することで、梅乃たちは中級妓女が居る二階に来ていた。そして、梅乃が花緒の部屋に入る。「花緒姐さん、失礼しんす」 花緒の部屋を開けると、花緒が泣いていた。「どうしたんですか?」 梅乃が驚き、花緒に声を掛けると「この玉菊灯籠の時期って、寂しくなるん
第三十六話 栞《しおり》赤岩が復帰してから二週間が経つ。桜の花も散り出す頃、梅乃たち三人が並び「みんな、よくな~れ」 そう言って “ニギニギ ” をしている。そんな中、赤岩は岡田に蘭方医術を伝えていた。「ここの腑《ふ》ですが……」 ※腑は内臓のこと医学書を使い、岡田に説明をしている。岡田も必死に学んでいく。その途中、「そして先生…… 先生の病とは、どんなものなのでしょう……?」岡田の質問に、赤岩は黙ってしまう。「先生?」「あっ、すみません……」 慌てたように赤岩が謝る。「先生……」 「私の病は貧血なんです。 それも悪性の」 赤岩が話すと「先生― 戻りました~」 梅乃が赤岩の部屋の前で声を出す。この声で赤岩と岡田が黙ってしまう。梅乃が赤岩の部屋の戸を開ける。「赤岩先生、岡田先生もいたのですね。 今日も教えてもらえますか?」梅乃が無邪気に医学を教わりに来る。「そうだね。 今日は何を勉強しようか?」 赤岩が微笑む。 岡田は現実を知りながらも、二人の未来を見守っている。 「梅乃、古峰と買い物に行っておいで」 采がメモを渡すと 「はーい」 梅乃は、読んでいた本を閉じて立ち上がる。 そして買い物に出掛けた梅乃と古峰は、仲の町で手をつないで歩いていく。「ねー 古峰、赤岩先生って具合悪いのかな~?」 梅乃が突然言い出す。 「な なんでそう思うの?」 古峰が聞くと、 「この前、長岡屋で倒れてから岡田先生が居るでしょ。 なんか赤岩先生が悪いから岡田先生が診ているような気がするんだ……」「……」 これには古峰も黙ったままだった。 古峰も薄々と感じていたが、必死に誤魔化している赤岩の姿を見ていた。 この事は知らないフリをしている。 「こんにちはーっ 買い物に来ましたー」 元気よく千堂屋で声を出す梅乃。 「こんにちは梅乃ちゃん、古峰ちゃん」 野菊が挨拶をすると 「こちらの物をお願いします」 梅乃がメモを渡す。 しばらく千堂屋で時間を過ごした。 すると、客の声が聞こえる。「聞いたか? 長岡屋で医者が倒れた話……」そんな声が聞こえ、梅乃が耳を傾ける。(マズイっ―) 古峰は焦った。 そして、「う、梅乃ちゃん……コレ、綺麗だね……」古峰は、梅乃の耳を遮るように話しかける。「えっ? どれ?」 梅乃が古峰に顔を向
第三十五話 優しい嘘明治六年、 春真っ盛りで桜の花が眩しいくらいに咲いている。「みんな、よくな~れっ!」 梅乃が声を出すと、両脇の小夜と古峰が“ ニギニギ ” をする。桜の木の下での約束は健在である。誰かが大変であれば、 “ニギニギ ”をして励ます。こんな毎日を過ごしていた。「いたいた~」 梅乃に声を掛けてきた女の子がいる。絢である。「梅乃~、小夜~、えっと、誰だっけ?」 絢が笑って誤魔化していると、「絢~ 古峰だよ~」 梅乃が言う。「そうだった」 絢は古峰の名前を忘れていたようだ。「お昼前に会うの、久しぶりだよね~」 絢が言い出すと、「今は誰に付いているの?」「今は瀬門《せもん》姐さんに付いているの」 絢が答える。絢は、鳳仙に付いていたが癌で引退をしてしまい、そこからは瀬門という妓女の元で学んでいるらしい。「そうなんだね。 瀬門さんって、どんな人?」 小夜が聞くと、「まぁ、鳳仙花魁みたいな派手さは無いけど、色々と教えてくれるんだ~」絢は笑顔で話す。そんな話をしていると、少しの違和感が出てくる。「絢、ちょっとゴメン……」 梅乃は、絢の腕を掴んで禿服の袖《そで》をまくった。「―っ」 絢は驚いたが、一瞬の事で抵抗ができなかった。すると、袖の下から無数のアザが出てくる。「絢……」絢は急いで袖を元に戻す。「見なかった事にして……」 絢が視線を逸らして言うと「うん……なんで禿って、こうなんだろうね……」 小夜がボソッと呟く。絢は、目に涙を溜めていた。「よし、みんなでやろう!」 梅乃が言うと、四人で並んで桜を見つめた。そして、手をつなぎ “ニギニギ ”をして「絶対に花魁になろう! 辛くても、頑張ろう。 みんな、よくな~れ」絢も笑顔になって、ニギニギをする。「これ、なんか元気になるね♪」 絢は喜んでいた。こうして絢は鳳仙楼に戻っていった。その後ろ姿が見えなくなるまで梅乃は絢を無言で見送る。そして、三原屋に戻ると「お前たち、どこに行ってたんだい?」 采が言う。「すみません。 桜を見に行っていました―」 梅乃が元気に答えると、「そうか…… 梅乃、赤岩と一緒に往診に行っておいで。 小夜は勝来に付きな。 古峰は信濃に付くんだ」 采は今日の仕事を言う。梅乃が赤岩の部屋の前に来ると、「失礼しんす。 梅乃で
第三十四話 わらべうた深夜、梅乃が目を覚ます。それに小夜が反応して目を開けると「どこに行くの? 梅乃……」「小用……」 そう言って梅乃は布団から出ていく。しばらくして梅乃が戻ってくると「私も行ってこよう……」 小夜も立ち上がり、小用を済ませにいく。妓楼の大座敷の奥がトイレになっており、トイレの壁の向こうは外になっている。小夜が小用を済ませると、壁の向こう側から声が聞こえてくる。(こんな時間に、誰だろう……?) 小夜は気になっていた。そこから声がハッキリと聞こえてくる『通りゃんせ 通りゃんせ……ここはどこの細道じゃ……天神様の細道じゃ……』(こんな時間に、誰……?) 小夜の背筋が震える。そして小用を済ませた小夜が梅乃に話しかける。「梅乃、梅乃……」 「んっ? どうしたの? 小夜」 梅乃が薄っすらと目を開けて言うと「なんか出たみたい……」小夜が言うと、梅乃が『ガバッ』と起き上がる。「えっ? マズいな~」 梅乃が呟くと「マズい?」 小夜が首を傾げる。「だから、オネショでしょ? お婆に叩かれるよ~」 梅乃が頭を抱える。「えっ? オネショしてないよ……」 小夜が目を丸くすると「だって、「出たみたい」って……」 梅乃がキョトンとする。「あっ、それか……って、そうじゃない! 便所の壁の向こうから歌が聴こえたのよ~」 小夜の口調が早くなる。「歌? どこかの酔っ払いじゃない?」 そう言って、梅乃が布団の中に潜ると「そうじゃないのに……」 小夜は気落ちしてしまった。翌朝、梅乃が目覚めると、小夜は布団に居なかった。(小夜、早起きだな……)梅乃も起きて、布団を畳む。「おはよう」 古峰が声を掛けると「おはよう♪ 小夜、見なかった?」 「さ、小夜ちゃんなら外に出ていったよ」 古峰が説明をすると、梅乃も妓楼の外に出て行く。「小夜~」 玄関を出て、声を出しても小夜の返事がない。そして妓楼の裏手に回ると、「いた。 小夜~」 梅乃が声を掛ける。「梅乃……」 小夜の表情は暗く、落ち着きもなかった。「小夜、どうしたの?」 「昨日の……歌が気になって」 小夜がキョロキョロと周囲を見回すと、梅乃もキョロキョロとする。「それで、どんな歌だったの?」 梅乃が聞くと、「通りゃんせ……」 小さく答える。「通りゃんせか……小さい頃
第三十三話 紅《べに》冬も終わる頃、昼間の暖かさを感じれるようになってきた。そして、頬に温かさを残している者がいる。片山である。片山は、鳳仙が触れた頬の感触が忘れられずにいた。『ボーッ……』 仕事をしているものの、少しすると鳳仙を思い出しては こうなってしまう。(重症だな……) 禿の三人は、遠目で見ていた。「古峰~ ちょっと……」 妓女のひとりが古峰を呼ぶと「は~い。 姐さん、行きます」 そう言って大部屋に向かう。玉芳が厳しく言ったことから、禿に厳しく言うことは減っていた。古峰も段々と警戒は薄れ、返事も明るくなっていた。(やっぱり玉芳花魁は凄い……) 梅乃の理想は玉芳であり、いつかは玉芳のようになりたいと思っていた。昼見世の時間、妓女は張り部屋に入る。ここで顔を売り、夜に指名を貰う為である。段々と暖かくなり、人足も増えてきたころ「古峰も中に入りなさいな~」 そう言って、張り部屋に古峰が引きずり込まれる。「あ、あの……」 口下手な古峰は、上手く断れずにいた。そして、妓女の一人が化粧道具を持ち、古峰に化粧をする。「あわわわ……」 化粧をされるのが初めてな古峰は、言われるがまま流されていった結果……「えっ?」 全員がポカンとする。 「あの……何か?」 古峰が不思議そうな顔をする。「お前……鏡、見てごらん」 妓女が鏡を古峰に見せると「誰だ……?」 古峰自身も驚いていた。顔立ちが濃く、ハッキリしていて目が大きく大人っぽい古峰に全員が黙った。古峰が どうしていいか分からず “チラッ ” と、梅乃と小夜を見ると(なんか勝者の顔に見える……) 梅乃と小夜は、ショボンとして歩いて行ってしまった。(えーっ? 助けてくれないの?) 古峰は見捨てられたような絶望感を味わっていた。その後、妓女の玩具《おもちゃ》にされた古峰は、バッチリメイクのまま過ごしていくことになる。張り部屋に居た古峰に指名が入るほどの変貌ぶりに(なんか負けた気がする……) 仲の町を歩く梅乃と小夜は落ち込んでいた。「梅乃~ 小夜~」 呼ぶ声が聞こえ、二人が振り向くと「何、しんみりと歩いているのよ~」 声を掛けたのは鳳仙である。「鳳仙花魁……」 梅乃が小さい声で言うと、「さっきから何なのよ~」鳳仙が茶屋に誘い、梅乃と小夜の三人でお茶を飲む。「……そ